夜の街に煌めくイルミネーション。青と白の光が交互に点滅し、太陽光を反射する海を思わせる冷たさの中にも心を弾ませる華やかさが漂う。それは直接的な暖かさをもたらすものではないが、人々の営みや喜びを感じさせるものだった。
雑誌のデート特集のグラビア撮影という企画で、クリスはこの場にいた。自分の撮影は既に終わり、今はユニットメンバーの想楽が撮影に臨んでいる。その様子を少し離れた場所のベンチから眺めていた。
風が頬を撫で、冷たい空気が体温を奪っていくのを感じる。それでも、クリスはこの場を離れる気にはなれなかった。自分の中で湧き上がる感情や、この時間の流れを大切にしたいと思ったからだ。
不意に、右頬を温かいものが掠める。その感触にハッとして振り返ると、そこには雨彦が立っていた。
「お前さん、ずっと此処に居たのかい?」
「雨彦……」
いつの間にか後ろにいたらしい。頬を掠めたのは缶飲料のホットココアだったらしく、差し入れだと手渡された。礼を言いながら缶を両手で包むと、冷え切った身体がじんわりと解れていくようだった。温かさが手のひらから全身へと広がり、心にも優しいぬくもりを運んでくれる。
「ええ、貴方の撮影も此処で見ていました」
「随分と長いこと此処に居たんだな」
気付かなかった、と苦笑しながら雨彦はクリスの隣に腰を下ろした。クリスの撮影が終わってから既に一時間は経っている。フィールドワークで一晩中外にいることもあったのであまり気にしていなかったが、冬の屋外での一時間というのは確かに長いのかも知れない。
撮影はクリスから始まり、次に雨彦、そして最後に想楽という順番だった。早々に撮影を終えたクリスは、自然と仲間たちの仕事ぶりを見守ろうとここに腰を据えたのだ。
あまり近くの場所でそうしなかったのは邪魔にならないようにという配慮と、海洋生物の観察をする時の習慣からかも知れないなと思う。
「此処は人通りも少ないですし、撮影の様子もよく見えるのですよ」
クリスがそう答えると、雨彦もその視線の先に目をやった。撮影の中心にいる想楽は、カメラに向かって様々な表情を見せている。監督やカメラマン、プロデューサーと話をしながらポージングをしていた。
「ああ、確かに。此処からだとよく見えるな」
「想楽は本当に良い表情をするようになりましたね」
クリスがぽつりと漏らした言葉に、雨彦は頷いた。彼の視線も再び想楽に戻る。
「そうだな。大分アイドルらしくなったんじゃないか」
会話の中で自然に生まれる温かい空気。それは互いの言葉の端々に、想楽を思う気持ちが滲み出ているからだろう。だが、そんな穏やかな空気を打ち破るように、雨彦はふと視線をクリスに向け、柔らかな笑みを浮かべた。
「お前さんもな」
「……私も?」
「ああ」
突然の言葉に、クリスは思わず目を見開いた。その反応を見た雨彦は、口元に柔らかな笑みを浮かべ、少し照れたように続ける。
「お前さんの表情も、前より柔らかくなった。良い傾向だと思うぜ」
「……ありがとうございます。雨彦にそう言って頂けると、自信になりますね」
クリスは素直に礼を言う。雨彦が言う程には具体的ではなかったが、クリスは自分の変化を感じていた。アイドルとして様々な経験をしてきたことで、少しずつではあるが確実に成長しているという自覚があった。
そして、その成長は自分一人の力で成し得たものではないということも理解している。仲間である想楽や雨彦やプロデューサーが、いつも側で見守ってくれていたからこそ得られたものだ。
「雨彦も……良い表情をするようになりましたよ」
「俺が?」
クリスの言葉に、今度は雨彦が目を丸くした。自分の変化には無自覚だったようだ。
「はい」
その反応に、クリスは嬉しそうに笑って頷く。
「とても穏やかで、優しい表情をされるようになりました。貴方のその微笑みを見ると、自然と私も笑顔になれるのです」
クリスは本心を伝えた。雨彦も想楽と同じく、アイドルとしての成長と変化を経ている。彼はそれを見せたいとは思わないかも知れないが、自分の近くで変わっていく姿を見せてもらえることは、共に歩んでいるという喜びを感じることが出来る。
「……そりゃ嬉しいね」
雨彦は少し照れたように答えた。その頬と耳が少し赤くなっているのは寒さのせいだけではないだろう。その様子を目にしたクリスは、思わず微笑んだ。冷えた夜風の中で交わされる言葉は、短くとも心に響く温かさを持っていた。
雨彦は、ポケットに手を入れながら夜空を見上げる。冷たい空気に白い息が浮かび、イルミネーションの光がかすかに反射する。少し沈黙が流れたが、それは決して居心地の悪いものではなかった。
寒さが少し和らいだように感じるのは、きっとココアの温かさだけではない。隣にいる雨彦の存在が、不思議とクリスの心に安らぎをもたらしていた。
しばらく二人の間に沈黙が訪れる。だが、その静けさは、決して居心地の悪いものではない。
冬の夜の冷たい空気が、二人の間を漂う。イルミネーションの青と白の光が、雨彦の横顔をかすかに照らしていた。その横顔は、力強さと穏やかさを兼ね備えていて、どこか安心感を与えてくれる。
手のひらに伝わるホットココアの温かさは、まるで雨彦そのもののようだ。冷え切った体と心を、そっと包み込むような優しさを感じる。
「北村の撮影も順調なようだし、そろそろ戻るか。……お前さんとこうして話すのも悪くないが、風邪を引いたら困るしな」
そう言って立ち上がった雨彦が振り返り、軽く手を差し出してきた。
その手に、一瞬だけ戸惑いながらも、クリスはそっと自分の手を重ねた。冷たい空気の中で触れた雨彦の手は、驚くほど温かい。
言葉は交わさないが、クリスの心には静かな確信があった。この時間、この温もり、そして隣を歩く雨彦――どれもが特別なものだということを。
二つの影が一つに寄り添うように伸びていく。冬の夜の冷たい風の中でも、二人の間だけには、ぬくもりが続いていた。
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